何故こころは時間を創ったのか?2の3

何故こころは時間を創ったのか?

第二章



映画「2001年宇宙の旅」を知って度胆を
抜かれた

敵対するサルの群れ・・・

映画では、遠慮してサルとして描かれて
いるが

実のところ、このものがたりは私たち

彼ら(君たちだよ)(ホモ・サピエンス)の話なのだ


骨を武器にしたサル(君たち)が他のサル

(私たち)をたたき殺すのだが・・・


この物語を創ったのは「やった側サル」

ではなく、「やられた側のサル」だと

私たちにはすぐに分かるからだ

何故分かるのかは、最後に記す

骨を武器とし、同じ種であるサルを殴る時、

やった方のサル(君たち)が何か言っているが

何を言っているのか私たちは知っている


ぶん殴りながら

ふたこと目に

「これは明日の私の分」と言って殴って

いる

つまり、今生きるために相手を殺すだけ

ではなく「明日も生きながらえる、明日の

自分の為にお前を殺す」と言っているのだ


やられたサルの方には、もともと明日も

あさってもない

「永遠という一瞬」の中で生きているからだ

そして
やった側のサル
(君たち)は

もう
「永遠という一瞬を信じられず

永遠に来ることの無い明日の為に自分以
外の何かを殺す」

という行動へと突き動かされ続けること
になった


彼ら(君たち)が手に入れたのは、武器

ではなく、「自分の明日の為に相手を殺
してもいいんだ」というロジックなのだ

そして

なぜ、このものがたりは「やられた側の
サルにしか創れないかって??


それは

ホモ・サピエンスの中に遺された2%の

ネアンデルタール人のDNAのことを思
い出せば分かる


『一瞬という永遠を描き切れる程のアー
ティストの血は間違いなく我々ネアンデ
ルタール人がなせる
技だから』だ


残念だが、我々の血が一滴も混じっていな

い純粋のホモ・サピエンスには、真の芸術

は創りようがない

Have a nice day.f:id:namacokuchibiru:20140907133851j:plain