戦争回避を考える人への3つの鍵
(2015.0208)のブログから
シリーズ「戦争回避を考える人への3つの鍵」
のそもそものスタートの記事を再掲しますね
3つの鍵について、証明することはできない
かもしれませんが、歴史を見る限り私たちは
「正しいと思う方を選択できると信じている
がどうも、そうではないかもしれない・・・」
という見方をしてみませんか?という問いで
す
その上で何ができるか?を考えることは不可能
ではないと思うからです
キーとなるのは「私たちの本体は私ではない」
という考え方だと思うのです
どこまでも「私」にとらわれている限りこの世
の自動操縦をとめることはできないのではない
でしょうか?
以下、再掲です
戦争回避を考える上でポイントとなると思われ
る2つの鍵に加え、最近思い至っている3つめ
の鍵について思いつくままに書き綴っていきます
鍵①
私たちが「選択」と読んでいるのは
【選択しなかった方を想像する力】であって
実際、選択しつつ人生を送っている訳ではない
という仮説
鍵②
私たちは、確かに過去「知恵の実」を齧ったが
じつのところ、今も毎時・毎分・毎秒「りんご
を齧り続けている」
つまり、「善悪の判断がつくのはりんごを齧っ
た瞬間だけで、しかも『りんごを齧ったことが
いけないことである』という判断がついただけ
である
という仮説
つまり、遠い過去に齧ったひと齧りの知恵の実
のおかげて、未来永劫「善悪」の判断がつくよ
うになっているわけではないということ
鍵③
コウモリやイルカにみられる「反響定位」とい
う能力・・・
これは超音波によって外界をサーチする能力
であるけれど、同時に「自己という固体」を
サーチしているはず
(でなかったら、複数のコウモリがいる場合
だれの反響なのかわからなくなり落下して
しまうに違いないから)
この反響定位を音ではなく、感情によって
サーチしているのが人類
という仮説
つまり自分の発した「感情の元となるオーラ」
の反響を感知して感情を引き起こし「自己」
を保持している。
3つの鍵から言えること
①人は過去から学ばないし
②実は未来を選択してすらいない
③しかし、感情により「個」を保持している
だけなので、その感情が特定の「発信者」に
戻ってこず、シェアできれば、憎しみの連鎖
は消える
という仮説