【何故こころは時間を創ったのか?】
第2章
『ネアンデルタール人からの手紙』
その11
[ 能力とは制約(制限)のこと?]
「なかなかテンポよく手紙を書き進めることができない・・・
というか『君たちの言葉』にならないということ。
つまり私たち(ネアンデルタール人)の知恵を君たち
(ホモ・サピエンス)の枠に入れないと君たちは理解で
きないからだ。
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(もちろん[ 枠 ]とは[ 言葉 ]のことだ。なんせ君
たちは「2分先の我が身の心配で頭の中がいっぱい」
な状態を「能力」と呼ぶ種なのだから・・・)
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[ 言葉 ]こそが我々をホモ・サピエンスたらしめた!
と言っている君たち!!それを否定まではしないけれど
「能力って制約を伴うというか、制約そのものでもある」
ってことはなかなかホモ・サピエンスのまっただ中にい
ては分からないだろうね。
『能力とは制約のこと?』[言葉]はその最たるもの
ではないのかな?
言葉は君たちにとっても「能力やツールであると同時
に強烈な制約でもある」
ってどこかでは分かっているよね?
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「『言葉が制約となるって??それは外国語のことか?』
という疑問が当然出てくるだろうね。
確かにそれもある
言語が能力だといっても外国語が理解できない場合、
それは能力でなく逆に壁になる
しかし、もっともっと大本の話をすると、そもそも君
たちは言語を使いこなせる能力を持ったホモ・サピエ
ンスはその有能さゆえ、言語を持たない他の種より優れ
ていると思い込んでいないか?
でも、そんな君たちも
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『言葉にならない思い』とか
『言外に匂わす』とか、
なにか言葉以上のものによって構成されている
ものごとを感じている
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そんな風にせっかく感じ取っているのに・・・
言葉にならないものコトの発展形として『言葉』
があるかのように思ってしまっていないか?
一度イメージしてみてくれ
『言葉は能力どころか制約とすら呼べるのかもしれない?』
と思ってみる価値はあるよ!
(しかし、これも言語によってしか
「思ってみる」ことができないっていう自己矛盾を抱
えているのが又君たちでもある・・・)